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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)5953号 判決

原告 加藤弥三郎

被告 国

訴訟代理人 星智孝 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「被告は原告に対し金十万円及びこれに対する昭和二十八年八月二日以降完済までの年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

(一)  宇都宮地方裁判所足利支部裁判官戸恒庫二は昭和二十四年十月二十二日原告を被疑者として「被疑者は昭和二十四年八月三日午後六時頃佐野市若松町三百五十五番地の被疑者自宅に接続せる空地に家屋の建築を始めた石岡林次に対し右土地は自分が借りているのであるからもし家を建てるなら権利金として金二万円を交付せよと申し向け、もし右石岡が被疑者の右要求に従わない時は建築を妨害して基礎工事に損害を与えるかも知れないことを暗示して同人を畏怖させ、よつて翌四日被疑者自宅において右石岡をして金五千円を交付きせて之を喝取した」旨を被疑事実とする逮捕状を発付し、更に同裁判官は同年十月二十八日原告を被疑者とし右被疑事実に基き、勾留状を発付した。

(二)  その結果原告は前示逮捕状に基き同月二十六日逮捕され同日午前九時五十分から同月二十八日午前八時まで佐野市警察署に、留置され、更に右勾留状により同日午後二時より同年十一月二日午後四時五十五分まで同警察署に留置された。

(三)  けれども原告には前述の被疑事実に該当する所為がないので、不起訴となつたが裁判官戸恒庫二は逮捕状請求書添付の捜査資料を検討すれば原告に何等犯罪の疑いがないことを容易に知り得べきものであつたにも拘らずその検討を怠り前記逮捕状を発付し、又勾留請求書添付の捜査資料を検討すれば同じく原告に何等犯罪の疑いがないことを容易に知り得た筈であつたに拘らずその検討を怠り前記勾留状を発付したものであり、その結果原告は前記の如き逮捕勾留を受けたものであつて、右は国の公権力の行使にあたる公務員たる同裁判官が、その職務を執行するに当つての重大な過失により、原告の自由を侵害したものであるから、これによつて原告の受けた損害は、その有形無形を問わず、国家賠償法(第一条第一項)の規定に従い、被告国において賠償の責があるところ、

(四)  原告は前述の逮捕、勾留に因り精神上甚大な苦痛を受け且つ社会的名誉を毀損されたものであり、その慰藉料としては金十万円が相当である。よつて被告は原告に対し右金十万円及び之に対する右逮捕勾留終了の後である昭和二十八年八月二日以降完済まで民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払を求める次第である、と述べ、

立証として甲第一乃至第十一号証を提出し、乙号各証の成立を認めると述べた。

被告指定代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張事実中、

(一)、(二)は認める。

(三)については、本件被疑事実につき原告が不起訴となつたことは認めるが、不起訴となつたのは被疑事実につき嫌疑不十分なためではなく、被害者との間に示談が成立したためである。その余の点はすべて否認する。

裁判官が逮捕状を発するための要件としては被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由換言すれば犯罪の嫌疑を拘くについて客観的に合理的妥当な理由が存すれば足り、判決におけるように犯罪事実の存在を確信する程度までの心証を得る必要はないものであるところ、本件逮捕状請求書添付の資料である熊倉幸七、石岡林次、川田浪治、熊倉多平の司法警察員に対する各第一回供述調書の記載を綜合すれば、客観的に見て原告が逮捕状記載の被疑事実を犯したと疑うに足りる合理的な理由が存することは明白であり、本件逮捕状発付について同裁判官に過失はない。更に同年同月二十八日佐野市警察署から本件被疑事件の送致を受けその捜査を担当した宇都宮地方検察庁足利支部三浦副検事は原告の弁解を聞いたところ原告は金員の交付をも含めて被疑事実を否認し、かつ佐野市役所に提出した家賃届出の控であるとして同市役所に存する届出と内容において異る文書を任意提出していることから罪証湮滅の虞れがあるものと考え、一件記録を添付して勾留を請求したところ戸恒裁判官は同記録を調査し原告を尋問した結果、原告が前記被疑事実を犯したと疑うに足りる相当な理由があり、かつ前記同様の理由により原告が罪証を湮滅する虞れがあると疑うに足りる相当な理由があると認めて本件勾留状を発付したものであり、右は客観的にみて合理的妥当なものであつて同裁判官に過失はない。従つて原告の本訴請求は失当である。と述べ

立証として乙第一乃至第二十一号証を提出し、甲第一及び第十一号証の成立を認める。甲第二乃至第八号証の成立を認めて援用する。甲第九、第十号証の原本の存在及び成立を認めると述べた。

理由

原告主張の(一)(二)の事実は被告の認めるところである。

そこで右(一)の逮捕状、勾留状の発付が違法のものであつたか否かをしらべてみると、元来公訴提起前の捜査の段階において裁判官が逮捕状、勾留状等のいわゆる令状を発付するに際つては、その令状発付当時の資料のみに基いて請求された令状を発付すべきものかどうかを判断するの外なく、その資料に基いて被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由その他刑事訴訟法所定の令状発付の要件が備つている限り請求された令状を発付すべきものであるが、令状は被疑事件捜査の段階において発付されるものであるからその発付当時は事件についての証拠も裁判官をして、確信を得させるまでに十分明確になつていないのが常態であり、従つてその後の捜査の進行につれて無辜であることが判明した者が逮捕、勾留される危険性がないではないけれども(尤もかゝる場合せめてもの償いとして昭和三十二年四月十二日以降被疑者補償の制度ができたが)令状が捜査のために発せられるということを考慮して刑事訴訟法は裁判官に対し(有罪判決において犯罪事実の存在を確信する程度の心証を要求するのとは異り)令状発付に当つては被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があれば足りるものとしているのである。

右の見地よりして本件につきしらべてみると、

成立に争いない甲第二、第三、第五号証、乙第二、第三、第二十一号証を綜合すれば、本件逮捕状は原告に対し佐野市警察署司法警察員警部補渡辺一三の請求に基き裁判官戸恒庫二により発せられたものであるが、右逮捕状請求に当つて逮捕の理由及び必要のあることを認めるべき資料として昭和二十四年十月十九日付の熊倉多平の司法巡査に対する供述調書、同年同月十七日付の熊倉幸七の司法巡査に対する供述調書、同年同月十八日付の石岡林次の司法巡査に対する供述調書及び同年同月十九日付の川田浪治の司法巡査に対する供述調書が提供されたこと並に右提供にかゝる資料を綜合すると昭和二十四年七月頃大工業の訴外石岡林次は訴外金栗二郎から家屋建築の依頼を受け原告居住家屋に接続する佐野市若松町三百五十五番地の空地五十四坪に家屋建築のための基礎工事を始めたところ、原告は右空地に塀を設けて石岡の工事進行を不可能にしたので、同年八月三日右石岡は川田浪治、熊倉多平と共に原告方を訪れ、原告に対し工事妨害を止めて貰うべく種々懇願したが、原告は右空地は自分に権利があるから家屋を建築させない。もし建築したいならば権利金として金二万円を出せと要求したが、石岡はその当時既に材料の切込みをして在つた等の関係から巳むなく原告の右要求に応じて原告に金五千円を交付することを約し、翌四日右金員を原告に交付したこと、右空地五十四坪を含む佐野市若松町三百五十五番地の九十四坪の土地は訴外熊倉幸七の借地であつて、同人は右土地南西隅に建坪二十八坪五合の木造二階建家屋を建築所有し、昭和二十一年八月頃からその東半を原告に賃貸したが右家屋の敷地四十坪を除く五十四坪の土地は空地として残して置き何人にも使用を許していなかつたこと原告は右家屋入居後間もなく右空地を野菜畑として使用する目的で貸主の要求に従い何時でも返還するとの約旨の下に右熊倉幸七に借用方の申込をし、右幸七は之を承諾したが、その際契約書の取交しもせず、又幸七は原告に無償で使用させていたが、幸七としては右空地五十四坪を原告に賃貸したものではなく何時でも返還を受けうるものと考えていたので、これを昭和二十四年七月頃訴外金栗に転貸したものであることが一応認められる。

以上認定の事実によると原告は右空地五十四坪につき賃借権がないのに拘らず、賃借権があると称して、石岡の困窮に乗じて金員を要求し、よつて権利金名義の下に金員を交付させて、これを喝取したと疑うに足りる相当な理由があるものと認められる。

ところで刑事訴訟法第百九十九条第二項により裁判官は被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があると認める時は、刑事訴訟規則第百四十三条所定の如き明かに逮捕の必要がないと認められる場合の外は逮捕状を発しなければならないところ、本件の場合明かに逮捕の必要がないと認めるべき証拠はないから、担当戸恒裁判官が右逮捕状を発付したことはそのところであり、もとより何等違法の点はない。

次に成立に争いのない甲第四、第六、第七号証、乙第四、第六乃至第十一号証を綜合すると、本件勾留状は前記逮捕状に基き留置中の原告を被疑者とし、宇都宮地方検察庁検察官副検事三浦茂の請求に基き、前記の裁判官戸恒庫二により罪証湮滅の虞れありとの理由で発付されたものであるが、右勾留状請求に当り勾留の理由及び必要があることを認めるべき資料として、前認定の逮捕状請求に当り提供された資料の外に昭和二十四年十月二十七日付の川田浪治の司法警察員に対する供述調書、同年同月二十二日付の金栗二郎の司法巡査に対する供述調書、同年同月二十七日付の熊倉幸七の司法警察員に対する供述調吉、同日付の熊倉多平の司法警察員に対する供述調書、同日付の原告の司法警察員に対する供述調書二通及び同月二十八日付の原告の検察官に対する弁解録取書が提供されて居り、右提供にかゝる資料と昭和二十四年十月二十八日付の被疑者に対する裁判官の勾留尋問調書とを綜合すると被疑者たる原告が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があることは前認定と同一であること、更に右各資料によると原告は被疑事実について全面的に否認し殊に金員授受の点、本件空地についての賃貸借契約存否の点については他の参考人の供述調書と甚るしく食違つていること、原告及び他の参考人の取調が末だ十分に尽されて居ないことが認められる。

尤も被疑者が被疑事実について否認し、又はその供述が他の参考人の供述と食違つているからと言つて直ちに罪証湮滅の虞れありとすることはできないけれども、本件の場合は右事実と原告及び他の参考人の取調未了の事実及び被疑事件の性質、内容等を考え併せると被疑者たる原告に罪証湮滅の虞れがあるものと解するのが相当であり、従つて戸恒裁判官が前記勾留状を発付したことについても違法の点はない。

してみれば、本件逮捕状及び勾留状の発付が違法であることを前提とする原告の本訴請求は右主張が以上の通り理由がないのであるからその後原告が被疑事実について不起訴となつたことは本件当事者間に争いがないけれども、その不起訴の理由がどうであろうとその余の争断を判断するまでもなく失当であつて棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 毛利野富治郎 水谷富茂人 浜田正義)

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